あなたの口づけでも

「うう、おいしい……何これ……?」
「はあ……。ったく、いちいち大袈裟なんだよ。この程度で」
「いや、そりゃ跡部からしたらそうだろうけど学食レベルじゃないからねこんなの!?」

 お母さんと一緒に訪れた学校見学で初めて利用して、その味にも値段設定にも衝撃を受けてから早三年。一番安いメニューでもギリギリのところで千円以下。ワンコインで食べられるカレーとかうどんとか、ちょっとしたおやつにもなるポテトとかパンの耳(揚げて砂糖をまぶしてあるやつ)とかなんて存在すらしないここ氷帝学園の学食にて、赤身肉のステーキに舌鼓を打つ。

「お、学食おるん珍しいなあ。
「え、つーか何? Gランチ食ってんの? ずりー、俺も食ったことねえよ……なあ、ちょっと一口」
「シャーッ!?」
「っ!? わ、おい、冗談だっての」

 通りがてらにちょっかいを出してくる忍足と向日を全力で威嚇する。あぶないあぶない。いくら普段は仲良しでも、こればかりは譲れない。なぜなら、(既にほとんどたいらげていてしまっていたとは言え)そもそも学食自体、本当に数えられる程度しか利用したことがないあたしが今ご馳走になっているのは、この学食で一番豪華なフルコース。こんな風に跡部の恩恵でもない限り、食べられる機会さえなかった憧れのGランチだったからだ。
 本日のメニュー。マッシュルームのポタージュスープ。えびとアボカドの無農薬野菜サラダ。よくわからないやたらと長い名前のパンに、ミディアムレアで焼いてもらった赤身肉のステーキ。そして、デザートはカシスとブルーベリーのムース。まるで結婚式の披露宴レベルのそれは、値段設定と同様、非常に馬鹿げている。けれど。

「本当に何でもお願いしていいの?」
「ああ」
「え、やった! じゃあねじゃあね! えへへ……」


 ……ほんの数日前。跡部にとっては単なる気まぐれで、それこそ容易いお願いだったのだろうけれど(「そんなもんでいいのか?」って何度も聞かれた)マネージャー業務でたまたま遅くまで残っていたところを目撃されていて本当によかった。
 メインであった赤身肉の余韻にしっかりと浸りつつ、いよいよデザートに手を伸ばそうとしたそのとき。

「わっ!」(ドンッ!)
「!? ぎゃっ!?」

 真後ろから突然背中を押されると同時に、ムースの入ったデザートグラスはあたしの左手からぽろっとこぼれ落ちていた。かろうじて割れはしなかったものの、べしゃりと地獄のような音が響く。床に叩きつけられ、そのままダメになってしまった音だ。

「へへ、びっくりしたー? つーか何だよー、みんなここで食ってたの? 呼んでよ」
「……!?」

 無邪気に聞こえてきたのは、忍足や向日と同じくたまたま通りかかったであろうジロちゃんの声だった。……わかってる。ジロちゃんだって悪気があったわけではないだろうし、本当にいつものノリだったのだろう。けれど。けれど。けれども。
 静かに頭を抱える跡部に、開いた口が塞がらない忍足と向日。そして何より、完全にお通夜状態のあたしの表情を不思議に思ったのか、頭に「?」を浮かべたジロちゃんがゆっくりと視線を床に移す。

「げ、やべ。うわ、ごめん! わざとじゃないんだよー」

 ……うん、そうだよねジロちゃん。わかってる。何度も言うように、わかってるんだけれども。
 それでも、公立の給食で出される冷凍みかんとはわけが違う。ダメになったのは氷帝の、この馬鹿っ高い学食で出されるカシスとブルーベリーのムースだ。(お皿にはもちろんソースで謎模様まで描かれている)
 ぐちゃぐちゃに崩れてしまったそれのショックは、思った以上に大きかった。……あっ、ダメ。ちょっと本気で泣きそう。

「おい、そんな下らねえことでいちいち落ち込むんじゃ……」
「しゃあないな、跡部、キスや
「(!?) ああ? 何言ってんだお前」
「どっちも一発で元気になるんとちゃうのん? (ニヤニヤ)」
「そーそー。かわいそうだしさっさとしてやれよ(ニヤニヤ)」
「……」

 ……どさくさ紛れにわるのりした忍足や向日が何か言っていた気がする。けれど、今はそんなことより何より。

「うう……せ、せっかくのデザートだったのに……ぐすっ」
「「「「!?」」」」

 我ながら、こんな理由で泣くなんてどうかしていると思う。だけど、デザートを思うあまりの悔し涙は、どうしても止めることができなかった。

「わー! うそっ!? マジごめんね! 泣かないでー!」
「(跡部のキスよりそっちか)」
「(ある意味すげーな、こいつ)」

(※結局跡部のデザートをもらいました)



(2020/05/30)