鼻から牛乳

 校舎内にいくつか設置されている飲み物の自動販売機の中でも、特によく利用するのは南校舎から屋上に向かう階段手前にあるそれだった。ちょうどいい飲みきりサイズの紙パック専門、かつ、どれでも90円というお財布に優しい値段設定。条件的にも都合がよかったからこそ、屋上でお昼を食べるときの飲み物は毎回ここで買うと決めていた。そして、それは当然今日も例外ではなく。

「えーっと、カフェラテカフェラテ……っと」

 お茶、コーヒー、ジュース類。大手ではない、いわゆる謎メーカーの商品ではあるものの、定番中の定番は一通り揃ったラインナップを指でなぞる。カフェラテは下段、左から三番目と四番目。きちんと確認したあと、いつものように百円玉を投入してお目当てのカフェラテのボタンを押した……つもりだったのだけれど。

 ――ガコン。

「よいしょっと……っ!? ぎゃあーっ!? (ヤバい、ボタン押し間違えた!?)」


「最悪最悪最悪最悪」

 暖かい春の陽気に、どこまでも広がる爽やかな青空。本来であれば、カフェラテ片手に幸せなお昼休みを過ごせるはずだったのに。
 ……当初の計画どおり屋上には来てみたものの、あたしの気持ちはひどく沈んでいた。理由は、買うつもりだったカフェラテとは別のボタンを押してしまったから。うん、普通に自分が悪いって言うか、自爆だってことはわかってる。わかってるんだけれども。

(いや、他のだったらまだしも何でこれと間違えちゃったんだろ……)

 カフェラテの代わりに出てきたそれをじっとりと見つめると、見たこともないパッケージに描かれた微妙な牛のイラスト(「mоо! mоо!」などと余計な台詞付き)と目が合って何とも言えない気持ちになった。
 正直、普段だったらここまで凹まないし、よっぽどのものでもない限りは気にせずに飲んでしまう。けれど、今回間違えて買ってしまったそれは、よりによって世界で一番大嫌いな牛乳だった。自慢じゃないけれど小学生、それこそ給食時代からの天敵。味も匂いも喉ごしも、いまだに全てが無理。無理すぎる。(あ、ちなみにカフェラテはいいの。だってコーヒーでちゃんと中和されてるから)

「何じゃ、まーだ凹んどるんかは」
「いやけど、理由が"間違えて牛乳買っちまったから"だろ? やべえ、くそウケるわ」
「……」

 すぐ後ろから聞こえてきたのは、既に先客として屋上にいた仁王と丸井の声だった。菓子パンやお菓子のゴミがそこら中に散らばっている中、凹むあたしを見てげてげてと笑っている。あとでまとめて捨てるつもりなのかどうかは知れないけれど、何ともまあ、柄が悪い。と言うか、そもそも人の不幸を笑っている時点で柄以上に性格が悪い。

「はあ……丸井、これあげる」
「お」

 無理をして飲めるものでもないけれど、だからと言って捨てるわけにもいかない。処理に困ったあたしは、たまたま近くにいた丸井にそれをあげることにした。癪は癪だけれど、この際仕方がない。ある意味いてくれてラッキーだと思うようにしながら、やるせない溜息と共にそれを手渡す。

「何、くれんの? ラッキー」
「うん、どうせ飲まないってゆーか、飲めないし」
「マジかよ、サンキュ! (ブシュッ! ジュコー)うめー、牛乳最強」
「(うそ、早っ!?)」

 ……光の速さでぶっ刺されたストローも、ダイソンのように勢いよく吸引されていくその中身もさておくとして。
 死ぬほど美味しそうな表情を浮かべる丸井を見て、思わず眉を顰めた。人の味覚は人それぞれ。そうわかってはいても、牛乳だけは本当に無理なあたしにとって、丸井のその行動や表情はまるで理解し難いものだったからだ。(何なら「最強」とまで言ってるし。まあ、丸井の場合は牛乳に限らず、食べ物や飲み物に関しては大体「●●最強」って言うタイプだけど)

「つーかマジで嫌そうだなお前。そんなに嫌いなのかよ」
「うん……何かもう全部が無理。よく飲めんね、牛の乳だよそれ……」

 ジュコジュコと音を立てながらストローを啜り続ける丸井に対し、げんなりと呟く。すると、ずっとだんまりを決め込んでいた仁王がさらりと会話に入ってきた。

「何言うとるんじゃ、牛乳は飲んどかんと乳がデカくならんじゃろ」
「そーそー。お前いいのかよ、一生Bカップのままで」
「別にいいも……は? ちょっと待って、何で知って……あ」

 いつもの軽口と見せかけた巧妙なセクハラに気づくのが遅すぎたあたしは、自分の発言によってまんまと自爆していた。

「お、当たった?」
「ほー、Bねえ……さすがにもうちょいあると思ったんじゃがのう」
「!? ねー、本当に最低なんだけど! 悪かったねBカップで! ってゆーかじろじろ見ないで!」

 ……全てが自爆とは言え、90円は損するし、ブラのサイズはバレる(バレてた)し、何ならもう、何もかもこの二人の陰謀な気さえしてきた。
 再びげてげてと笑う二人を、ギッと睨みつける。もう、やっぱりあげなきゃよかった。と言うより、そもそも最初から関わらなければよかった。ある意味では更なる自爆であるそれに、心の底から後悔した次の瞬間。

「(なあ、……)」
「(……じゃの)」
「……?」

 げてげてからニヤニヤに変わった、非常に嫌な感じの笑い方。そして、わざとらしくこっちを見ながらのひそひそ話。……関わってしまったことを後悔した矢先とは言え、どこからどう見ても自分に向けられていたそれに対し、今更無視もできなかった。

「……何? ちょっと、そのひそひそ話やめてくれる?」

 ……嫌な予感がしたあたしは、じっと警戒するように二人を見つめた。
 仁王も丸井も、友達として付き合うぶんには別に嫌いではない。ただ、揃いも揃ってしょうもないわるのりが大好きすぎるところがある。ましてや、牛乳嫌い(とブラのサイズ)という最大の弱みがバレてしまったばかりだ。最悪、無理矢理飲ませてくるとか普通にありそうで怖い。怖すぎる。

「つーかさ、単なる食わず嫌いじゃねーの?」
「そうそう。試しに飲んでみんしゃい、ほれ」
「!? (ほら、やっぱり!)いや! 絶対飲まないからね!? ってゆーかこっち来ないで本当に!」

 ……何と言うことだろう。半分冗談だったつもりの嫌な予感は、悲しくなるほどに的中してしまっていた。
 じりじりと近づいて来ようとする二人から、慌てて距離を取ろうとする。けれど、さっきのセクハラと同様、こちらもまた気づくのが遅すぎたようだ。

「まあそう逃げなさんなって」
「きゃあっ!? やだ、放してってば! ちょっと!」

 いつの間にか背後に回っていた仁王の手によって、あたしの両肩はがっちりとホールドされてしまっていた。当然、上半身の身動きは取れない。そして、正面は正面で身動きの取れないあたしをニヤニヤと見つめながら飲みかけの牛乳を片手にしている丸井。要するに、最悪の挟み撃ちだ。

「いーじゃん、先っぽだけ。な?」
「!? ねー、やだ! 本当に無理なの!」
「何? 俺のが飲めねーっての?」
「飲めない! ってゆーかさっきから変な言い方するのやめてよ、キモい!」
「どれ、貸しんしゃい丸井。俺が飲ましちゃる。……ほーれ、俺からの白い愛情じゃ。たんとごっくんしんしゃい」
「ーっ!? 仁王はもっとキモい! もう、本当にやめてってば!」

 ……決してあたしの想像力が豊かすぎるわけではない。わざとらしくニヤけた表情も、ちょいちょいAVっぽい口調も、二人は明らかに意識してやっているのだ。
 わずかに白い液体を垂らした先っぽ(※牛乳が垂れたストロー)を、ぐりぐりと口元に押し付けられる。必死に顔を背けはしたものの、もはやここまで来たら形振り構っていられない。上半身が動かせないぶん、どうにか下半身で抵抗する。けれど、最低な二人の表情は、あたしが抵抗すればするほど嬉しそうに……と言うより、単純にいやらしくなっていた。多分、ジタバタと脚を動かしたことによってスカートがギリギリまで捲れ上がってしまっているからだろう。何なら普通に「見えそう」などと言いながら、ニヤニヤと前屈みになっている。……もう、本当にどこまでも最低だ。(訴えたら絶対に勝てるし、そもそも女子にする行為じゃないからね本当に!?)

「ほれ、いつまでも無駄な抵抗せんで大人しく開きんしゃい」
「やべえ、仁王の言い方くっそウケる。どこ開かそうとしてんだよお前」
「! (もう、キモいキモいキモいキモい!)」

 本気で嫌がっているにもかかわらず、相変わらずAV口調の仁王。(キモい)そして、エロいことに無駄に敏感に反応する丸井。(キモい)
 いくら同級生同士のわるのりとは言え、別の意味で怪しい雰囲気になってきてしまった今、これ以上やりたい放題にされるわけにはいかない。あたしはスウと息を吸いながら、最後の最後の力を振り絞って大声で叫んだ。

「ーっ! いい加減にしてよ! 変態!」
「お、口開いた」
「!?」

 再び目が合った微妙な牛のイラストが、どアップの状態でぐしゃりと歪む。そして、その勢いで先端から飛び出したのは、世界で一番大嫌いな例の白い液体だった。
 ……ついつい大きく開けてしまったあたしの口の中に、まんまとそれが注入されていく。もはや多くは語れない。と言うよりも、語りたくない。ただ、何かもう本当に、人の嫌がることをここまで躊躇なくできるのが素直にすごいと思う。

 ――ごっくん。

「……っ! (ああ、ヤバい。小学生以来だ、この感じ)」

 どうしても舌に残ってしまう苦手すぎる味。臭いとしか感じない匂い。さらりとしていると見せかけてへばりつくような喉越し。……奥の奥から込み上げてくる不快感に、みるみると涙目になっていく。結果として最低な二人のお望み通りとなった。そして。

「ゲホッ!?」
「「!?」」
「ゲッホ、ゲホゲホ! ヴォエッ! ヴォエエェ……」

 ……まるで洞穴の中でのそれのように、我ながら信じられないえずき方だった。地べたに手まで突いてしまったため、直接は見えない。けれど、ひしひしと伝わってきたその空気感から仁王と丸井が死ぬほどどん引きしているのがわかる。いや、そうさせた原因を作ったのは全部、この二人なんだけれども。

「ありゃ……さすがにちょっとやりすぎたかいの?」
「だな……やべえ、あいつエクソシストみてーになってんだけど。おーい、大丈夫」
「なわけないでしょ! もうっ、あんたたち本当嫌い! 死ねっ! ……おえっ(あっダメ、まだ気持ち悪い)」

 数々のセクハラに加えて、とどめにこの仕打ち。今になってようやく申し訳なさそうにしている声が聞こえてきたものの、今回ばかりは本気で許せない。あたしはほとんど半べそ状態のまま、再びギッと睨みつけるようにしながら振り返った。

「「!」」
「……?」

 視線の先には、まるで何か予期せぬものでも見たかのようにぎょっと目を見開く仁王と、肩を震わせながら必死に笑いを堪えようとしている丸井。
 いつもとは違う、明らかにおかしい二人の反応に本日二度目の嫌な予感がする。……そう言えば、(既に涙でぐちゃぐちゃなせいでわかりにくかったけれど)さっきから何となく鼻のあたりまで濡れている気がしなくもない。でも、まさか。まさかね。

「……いや、すまん。全面的にこっちが悪かったし、苦しかったのもわかるんじゃがの……」
「すっげ言いにくいんだけど、出てるぞ……その、鼻から……
「!?」

 ……どこまでも広がる爽やかな青空の下、涙と鼻水と牛乳にまみれたあたしの叫び声もまた、どこまでも響き渡っていた。


「うっうっ……。最低すぎる……もうお嫁に行けない……」
「安心しんしゃい、俺がもらってやる。ぶっちゃけお前さんが涙目で鼻から牛乳出したとった瞬間軽く勃ったからの、俺」
「!?」
「おっ前、そこでかよ。(無理矢理押さえつけたときとかじゃねーんだ)やべえな、性癖」
「まあの。っつーことで、さえよかったらいつでも幸せにしちゃ「しなくていい! 変態!」



(2006/12/18)